便乗してRSSを語ってる人は僕に教えてください
リーダーにフィードかたっぱしからぶち込んでその中からいい感じのやつを探しましょうみたいな使い方をするなら、SNSのほうが他の人の評価も知れるしそういういい感じのやつが見つけやすくなったりしてRSSリーダーよりも便利でしょう
けれどこの人の文章おもしろい!要チェックだ!なブログとかあの絵描きさんの絵は全部追いたいみたいな使い方はSNSだと難しいと思うんですよね
あんまり更新されないけどすごいいい感じのをたまにだしてくるみたいなソースはもし他の人が評価しなかったときに埋もれてるんじゃないかみたいな 自分は見逃しているんじゃないかみたいな感情がSNSだとどうしても消えないんですよ
あとこれまでRSSで追ってたことでその源(人だと思ってるけど複数かもしれないし・・・)に対する変な愛着もあったりしてもうすべて見逃したくないんです
せっかく見つけた尖ったものは他の場所に比べたら次も尖ってそうだからもうずっと追いかけたいんですよ
あー今ふと思ったけどこういうめんどくせーのしかgoogleリーダー使わなくなるじゃん!もういいやってなったのかな?
RSSが今まで使われてきた理由はほかに代替物がなかったからですよ
数あるサイトの中から面白いやつを探せってなった時に「前面白かったもんを作ったやつが作るもんは次も面白いかもしれない」って探し方をしたかったらRSS使うしかないじゃないですか
だったらどうやって最初に面白かったもんを見つけるんだって話になって昔は昔のやり方があったんだろうけど今はSNS経由が大正義でしょう
ならもうはじめっからSNSだけあればいいじゃんってなるのは当然だと思うんです
でもそれで見つかるのは前見たことあるやつばっかりだったりしてもっと他にもみつけたいんだってなるんですよ(まぁこれはRSSでもあるんですけど)
そんでタイトルに戻るんですけど
あなたの面白い記事の見つけ方を教えてください
俺は面白い記事をもっともっと知りたいんです
ちょっと空いた時間にらばQひらいて目を引くタイトルを最新記事一覧からみつけてそれ見てふと右側の先月の人気記事にもおもしろそうなの見つけてああ面白かった満足だとはならないんですよ
俺はその先月の人気記事は先月にもう見てるしその前のだってもう見てるんですよ
はてブだって面白い記事教えてくれたりして助かるけどまだ足りないんですよ
MacをクリーンアップしたらHDDがこんなにきれいにとか英語を使いこなすためになんてどうでもよくて面白い記事が見たいんですよ
2chまとめとかだってちらちら見てるしそれでまーたデマに踊らされやがってみたいな管巻いて一緒に踊ってるんすよ
tumblrも見てるけどきれいな食いもんの写真なんかどうでもよくておもしろいのが見たいんですよ エロい奴はたまにください
googleリーダーの中身だってちょっと前までははてブのばっかりだったから実際大したもの入ってないんですよ
おねがいします
おねがいします
お願いします
このフィードをリーダーにいれるといいよとかはてブでこの人をお気に入りにするといいよとかこのサイトはいい感じのポータルになってるよとかこういう探し方もあるよとかそういう感じの
どういうところがいいのかは曖昧でいいんでこうしろってのを具体的にお願いします
こっちからあげられるものは感謝と尊敬と崇拝くらいしかありませんがどうかお願いします
コメントでもいいしブコメでもいいし何でもいいのでお願いします
お願いします
倍
ところで、江戸時代までと明治以降で「一倍」の意味が違っていること御存知かな?
江戸時代までは1倍=×2の意味で、その上は順送りでずれてゆく。
西洋数学が導入されて学校教育とともに現在の使い方が普及。
元の「一倍」の使い方は、今でも「人一倍努力した」という用法にその名残がある。
http://mudachishiki.livedoor.biz/archives/51513860.html
って文章を見た。
ははぁなるほどなーと思った。
人一倍と聞くたびに一倍じゃ同じじゃないかなんて心のなかで突っ込んでいたけど、そこから一歩踏み込んで「なぜ一倍で人の倍という意味を表すのか」について考えたことはなかったので一倍=×2だったという考えにはやるなぁと思わせられた。
ただそこから先が順送りでずれていくというのが逆に変な感じがする。1倍が×2なのに2倍が×3で3倍が×4だと数字が合わないというか自然な感じがしない。
だから倍の意味は同一のものがある的な意味だったんだろうなー。これだと2倍の時は同一のものが二つで3倍になるし辻褄が合う。
西洋数学が入ってきたときに×2と一倍って結果が同じじゃん!じゃあ同じ意味でいいよねーってなって「×2:一倍すること」とかいう教科書ができて、あれ×4って3倍だっけ4倍だっけみたいな感じから近頃×2の意味で2倍と使う者が増えて嘆かわしい論を経て気がついたら倍の元々の意味が忘れられてしまったんかななんて想像した。
そもそも1回倍にするの意味と1倍するの意味が違うのにそれを受け入れていたのが信じられないくらいだ。
何かを忘れて欲しい時は同じ意味の別のものを用意してそれを広めればいいのか。
いじめがまた話題になってるけど
罰は償いを相手に示させる方法だと思ってて
いじめられてた人が死んだときは償われる相手が本人から家族とかにかわっていじめとは別の死んだことに対する償いが主になるんだろうし
いじめていたことそのものに対する罰ってのは本人が生きていた場合よりも軽くなるのかなーとか思った
そもそもいじめって先生に怒られるくらいで被害と罰とが釣り合ってないことが多そう
まぁそんなこといったらいじめだけじゃないだろうしきりがない
とにかく思ったのは現状いじめはグレーゾーンだと
やるなら見つかるなってことですかね
社会がいじめをブラック認定してくれる日までがんばれいじめられっ子
こう考えると痴漢もグレーゾーンなのかな
なんか親告罪とグレーゾーンがごっちゃになってきた
権利関係なら利益もあるんだろうし痴漢は公にしたくないって気持ちが原因だろうし
いじめがグレーゾーンなのはいじめられっ子がそれを隠す風潮が作ってるんだろうな
そうしておまえが隠しとけば全部丸く収まるみたいな考え方の周囲がうまれうると
そうかんがえるともうやたらでかい声でいじめを告発できる装置があれば現状は打破できそうだ
被害者が訴えればそれに従って大炎上みたいな
…ネットじゃねえか
だからいじめられっ子はいじめっ子のtwitterとかチェックしといて良さ気なの見つけたら2chとかでスレ立てすればいいんじゃないかな
なんならアカウントの捏造とかしてもいいかもね
いじめ自体が事実ならアカウントの捏造くらい後からばれてもなんとかならないかな?
結局何が言いたかったのかね
規制推進派チラ見所感
ゲームが殺人を誘発しているとかアニメで性嗜好がどうとかに関して
規制するべきだーみたいな文章とかそうじゃないだろーとかたくさんあるし、
これもその中の一つです。
今朝Tumblrで流れてきた文章を眺めてて
ああいう規制推進派の意見はそもそもが後付の言い訳でしかないんだなー
気に入らないじゃ賛同を得られないからそれらしい御託を並べてるだけじゃん
そんなことを改めて感じました。
中にはそうではなくて心の底から
「影響を受けた人による害を被った、もう同じ被害者が増えてほしくない」
なんて思ってる人もいるかもしれないけど、
そういう人は規制がその願いを達成するか怪しいから方針を改めたほうがいいよと。
ここで規制推進派を
影響を嫌う”影響規制派”とそれ自体を嫌う”存在規制派”に分けます。
さっきの「同じ被害者を増やしたくない」みたいな意見は影響規制派に入るし、
「気持ち悪い‥んなもん作ってんじゃねーよ」なんてのは存在規制派ってわけですね。
影響規制派の目的は影響を受けて犯罪を起こしてしまう人をいなくならせることです。
被害者をなくしたいとか周りの人を犯罪に走らせなくしたいとか目的は色々だろうけど、
影響を及ぼす源がなければ被害もなくなるというのが共通する意見だと思います。
だけどその意見にはそれが無くなったときに本当に被害は起こらなくなるのかの考えが足りないんじゃないかな。
影響源を規制しても影響される人の本質は何も変わっていない。
ゲームをしたら皆犯罪を起こすなんて状態は規制をするべきかもしれないが実際は違う。
影響が本当にあったとして影響を受けた側もその素質をもっているんじゃないの?
そういう人は規制下で他の媒体から影響をうけないと言い切れるの?
結局のところ被害は起こっちゃうじゃん‥という話です。
この見方でいくと影響規制派がするべきことはアニメ等の規制ではないですよね。
ぱっと思いつくところだと
- 影響を及ぼしうる全ての規制
- 影響を受ける方向を操作
などがより適切ではないでしょうか。
前者は映画やドラマ、漫画や小説に劇から絵画などなど全てを規制しないといけません。
後者は影響を受けた人が害を及ぼさないように策を講じていこうということです。
他にも方向はあるかもしれませんが
少なくともちょっと規制した程度では影響規制派の目的は達成できないでしょう。
それにも関わらず規制するとどうなるのでしょうか?
もちろん今まで害を及ぼすことがなく楽しんでいた人達は不満がたまります。
また影響規制派も目的を達成できたわけでもないので満足できません。
存在規制派は嫌いだったものを滅ぼしてご満悦といったところでしょうか。
つまり全てはひとえに影響規制派の皮を被った存在規制派のせいなのです。
自分の嗜好を世間に押し付けたい、その程度しか考えていないのに
大義名分を掲げたふりをした奴らが混ざっているから話がまとまらないのです。
素直に存在規制派が「俺はこんなもん好きじゃねえんだよ」と言えば、
規制反対派は「じゃあおまえはこれ以上関わらないでくれ」となるわけですね。
これは少し前によくあった「嫌なら見るな」とは違い
「文句は言ってもいいけど他の人の邪魔をするな」です。
まぁ本当に影響があるのかも規制の現状もよく知らないけれど、
一つ規制すれば他も自重するだろうしマイナーなところでやっとくかみたいに見えるし
他人に迷惑をかけてもいないのに何かを奪うなんてひどい話だなー
そんな風に思ってます。
でも他人に迷惑をかけてからでは遅いとも思うし、難しいですね。
知らぬ噂の経緯は甘い
twitterが広く使われるようになってからは思ったことを誰もが気軽にwebに残すようになりましたね。うわさ話や話の尾ひれも記録が残りやすくなり、どういった経緯で発展していったのかが(一定の範囲には限るものの)把握できる場合も多くなってきました。デマだとか風評被害といったものも増えているようですが、実際に何が起きていたのかを後からでも把握できる部分は個人的にとても好きです。
なぜこんなことをわざわざ書くかというと、まぁそういった尾ひれ系の事例が目についたからしかないのですが…
イギリスでは「ロリコンエロ漫画禁止法」に対して、「実在しない少女を助けるために、現実の子供を守る時間を削ることはできない」と警察が捜査拒否。大人として適切な判断だと思う。
— やっぴぃさん (@yappyJP) 5月 19, 2012
このツイートは単体で3000回近くリツイートされており、非公式リツイートやコピペ等も含めると相当数の人物に知れ渡ったようです。見た人々は”ウィットに富んでますね。”であるとか”英国紳士だっ!”、”それなのに日本は…”といった反応を示しています。私はなんだか似たようなニュースを見た気がするなと感じていたのですが同様に感じた人の中に実際に海外の記事を調べた人がいたようで、これに対して「イギリスでそういったニュースが流れた形跡が見当たらない、同様のニュースから変質したデマにあたるものではないか」と指摘しています。
つまりスウェーデンで「非実在青少年」裁判、マンガ翻訳家が児童ポルノ罪に問われるの記事かその類のものを見た人が紹介する際に(意図は別にして)内容が変化したのではないかというわけです。またスウェーデンでの事例そのものに対して”「スウェーデン警察の一捜査員」が Svenska Dagbladet 紙に対して投書で表明したもので、スウェーデン警察全体の見解では無い模様。”と言った指摘もされています。
実際に一番誤解のない表現ができている文章がどれなのかは確認していないので、指摘自体がデマで欧州で表現規制に対する同様の見解が一斉に発表されたということもありえます。それでもスウェーデンの警察官が個人的に思ったことがいつのまにか英国警察の公式見解になっているのであればと思うと少し面白くないですか?それどころじゃないだろという人もいるかも知れませんが…
今回はこのあとどのようなことになっていくのかとも思ったのですが、まぁ別に話題になっているわけでもないようだし「違ったけどこういう考え方も」うんぬんくらいでたいして盛り上がりもせずに風化していくんだろうなと。でも完全に忘れられた頃にイギリスでは~と引用されるのを想像するとおもしろいし、やはり投書を警察の公式見解に見せるなんて技術(真相は知らん)は脱帽モノです。
記事自体の内容に対する意見は他の人と大して変わらなかったので特に書きません。