規制推進派チラ見所感
ゲームが殺人を誘発しているとかアニメで性嗜好がどうとかに関して
規制するべきだーみたいな文章とかそうじゃないだろーとかたくさんあるし、
これもその中の一つです。
今朝Tumblrで流れてきた文章を眺めてて
ああいう規制推進派の意見はそもそもが後付の言い訳でしかないんだなー
気に入らないじゃ賛同を得られないからそれらしい御託を並べてるだけじゃん
そんなことを改めて感じました。
中にはそうではなくて心の底から
「影響を受けた人による害を被った、もう同じ被害者が増えてほしくない」
なんて思ってる人もいるかもしれないけど、
そういう人は規制がその願いを達成するか怪しいから方針を改めたほうがいいよと。
ここで規制推進派を
影響を嫌う”影響規制派”とそれ自体を嫌う”存在規制派”に分けます。
さっきの「同じ被害者を増やしたくない」みたいな意見は影響規制派に入るし、
「気持ち悪い‥んなもん作ってんじゃねーよ」なんてのは存在規制派ってわけですね。
影響規制派の目的は影響を受けて犯罪を起こしてしまう人をいなくならせることです。
被害者をなくしたいとか周りの人を犯罪に走らせなくしたいとか目的は色々だろうけど、
影響を及ぼす源がなければ被害もなくなるというのが共通する意見だと思います。
だけどその意見にはそれが無くなったときに本当に被害は起こらなくなるのかの考えが足りないんじゃないかな。
影響源を規制しても影響される人の本質は何も変わっていない。
ゲームをしたら皆犯罪を起こすなんて状態は規制をするべきかもしれないが実際は違う。
影響が本当にあったとして影響を受けた側もその素質をもっているんじゃないの?
そういう人は規制下で他の媒体から影響をうけないと言い切れるの?
結局のところ被害は起こっちゃうじゃん‥という話です。
この見方でいくと影響規制派がするべきことはアニメ等の規制ではないですよね。
ぱっと思いつくところだと
- 影響を及ぼしうる全ての規制
- 影響を受ける方向を操作
などがより適切ではないでしょうか。
前者は映画やドラマ、漫画や小説に劇から絵画などなど全てを規制しないといけません。
後者は影響を受けた人が害を及ぼさないように策を講じていこうということです。
他にも方向はあるかもしれませんが
少なくともちょっと規制した程度では影響規制派の目的は達成できないでしょう。
それにも関わらず規制するとどうなるのでしょうか?
もちろん今まで害を及ぼすことがなく楽しんでいた人達は不満がたまります。
また影響規制派も目的を達成できたわけでもないので満足できません。
存在規制派は嫌いだったものを滅ぼしてご満悦といったところでしょうか。
つまり全てはひとえに影響規制派の皮を被った存在規制派のせいなのです。
自分の嗜好を世間に押し付けたい、その程度しか考えていないのに
大義名分を掲げたふりをした奴らが混ざっているから話がまとまらないのです。
素直に存在規制派が「俺はこんなもん好きじゃねえんだよ」と言えば、
規制反対派は「じゃあおまえはこれ以上関わらないでくれ」となるわけですね。
これは少し前によくあった「嫌なら見るな」とは違い
「文句は言ってもいいけど他の人の邪魔をするな」です。
まぁ本当に影響があるのかも規制の現状もよく知らないけれど、
一つ規制すれば他も自重するだろうしマイナーなところでやっとくかみたいに見えるし
他人に迷惑をかけてもいないのに何かを奪うなんてひどい話だなー
そんな風に思ってます。
でも他人に迷惑をかけてからでは遅いとも思うし、難しいですね。